探検したいな〜、海外旅行行きたいな〜
こういう映画見ると、そう思っちゃう。

1959年の映画『地底探検』は、ジュール・ヴェルヌの古典をハリウッドが映像化した作品である。
火山の奥深くへ進む探検隊が、地球の内部に眠る未知の世界を次々に発見していく物語だ。暗闇の洞窟に足を踏み入れる瞬間の緊張感、光が差し込まない地下空間の不気味な静寂。スクリーンいっぱいに広がる光景は、まさに「地球の裏側」であり、人間の小ささをまざまざと感じさせる。
印象に残るのは、探検隊が巨大な地下空洞にたどり着くシーンだ。そこには地上では見られない巨大なキノコの森が生い茂り、幻想的な景色が広がっていた。さらに進むと、太古の恐竜が生き残る地下湖に行き当たる。観客にとっては夢物語のような光景だが、物語の中では登場人物たちが命がけでその現実に立ち向かう。


特にリンデンブロック教授が、危険を恐れず未知の世界を切り拓こうとする姿は、老境に差し掛かってなお好奇心を失わない人間像として強く胸に残る。

私はこの映画を観るたびに、自分の暮らしを振り返らざるを得ない。若い頃なら、こうした冒険に胸を躍らせ「自分も行ってみたい」と思ったものだ。しかし歳をとると、どうだろうか。新しい場所に行くことすら億劫になり、むしろ同じ道を歩き、同じ店で買い物をすることに安らぎを感じてしまう。
田舎での暮らしは便利さより安心感を優先させる。見知らぬ世界に足を踏み入れるよりも、慣れ親しんだ日常を守ることが何より大切に思えてくるのだ。
ここ数年は体調を崩し、長期で病院に世話になることもあった。病室の窓から外を眺めるだけの日々が続くと、世界がどんどん狭くなっていくようで、探検どころか一歩外へ出ることすら冒険に思えた。そんな時期には「もう大きな変化はいらない」と心のどこかで諦めていた。
だが最近になって気力が少しずつ戻り、再びこの映画を見返したとき、リンデンブロック教授の姿が妙にまぶしく見えた。老いてなお冒険心を燃やし続ける教授の姿は、ただのフィクションではなく、人生の指針のように感じられたのだ。
もちろん私にとって「地底探検」に出ることはできない。しかし、教授たちが地底の湖を渡り、恐竜と遭遇するような劇的な体験はなくとも、日常のすぐそばに小さな非日常は隠れているのかもしれない。
たとえば、ふだん通らない道を歩いてみるだけでも、景色が違って見えることがある。見慣れたスーパーで、見たことのない調味料を手にしたときの驚きも、ある意味では「発見」だ。そんな小さな変化が、私にとっての地下湖やキノコの森なのだと思う。

映画の中で探検隊は幾度も危機に直面しながら、それでも前へ進むことを選んだ。私もまた、暮らしの中で新しい一歩を避けてばかりではいけないのだろう。大げさな冒険でなくてもいい。昨日と違うことをほんの少し試してみること、見慣れた日常の裏側に潜む非日常を掘り起こすこと。それこそが人生の後半に残された、ささやかだが大切な「探検」なのではないか。
映画を観終えたあと、私は心の中で思う。リンデンブロック教授のように、老いても冒険心を忘れない男でありたい、と。
と・・・
なんとなくエッセイっぽく書いてみた😛
「地底探検」の作品情報やあらすじに興味あれば、「店長のカルチャーログ」に書いているので、
こちらへどうぞ〜👇

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