今年、7年に一度の大祭り(チョウサイ)が巡ってきた。私は若い衆として、山車を引く役を担った。女性や子どもたちと一緒に、町を練り歩くその時間は、どこか懐かしく、そして誇らしいものだった。神輿を担ぐ祭りではない。鞆の浦では、山車が主役だ。造り物や明かし物を載せたその山車を、みんなで力を合わせて引く。掛け声とともに、町がひとつになる瞬間だ。
次のチョウサイの時には、私は世話方として裏方にまわるだろう。若い衆として参加するのは、きっと今回が最後。そう思うと、ひとつの節目を迎えたような気がした。
そんな年に、私はこのブログを始めた。鞆の浦の魅力を、少しでも多くの人に伝えたい。そう思ったのは、単なる郷土愛ではない。潮の香、石畳の道、軒先に揺れる提灯――それらが、私の中の何かを呼び覚ましたのだ。
そして、神功皇后のことを知った。

彼女が三韓征伐の折、鞆の浦に立ち寄ったという伝承がある。そのとき献上された地酒は、のちに「三降酒」と名付けられ、今では保命酒として知られている。神功皇后はその勝利をこの地で祝ったという。渡守神社を創建し、海神を祀ったのも彼女。妹の虚空姫命を祭主に任じたという話も残る。
神話と歴史のあわいに立つこの人物が、私たちの町の礎に関わっているという事実に、私は不思議な親しみを覚えた。彼女もまた、旅の途中でこの港に錨を下ろし、ひとときの安らぎを得たのだろうか。あるいは、戦の緊張を抱えながら、潮風に未来を託したのかもしれない。
ちなみに同じ町内で共にチョウサイを盛り上げてくれた後輩のチェック社長のブログに詳しいことは書いてあるので、興味のある方は。

鞆の浦は、ただの港町ではない。潮待ちの港として、幾多の人々がここで時を過ごし、思いを残していった。神功皇后もまた、そのひとりだったのだ。
私はこれから、少しずつこの町の歴史を学んでいこうと思う。神話の中の人物が、今の私たちの暮らしとどうつながっているのかを知りたい。そして、次の世代に語り継げるような言葉を紡いでいきたい。
潮の香に包まれながら、私は今日もこの町を歩く。神功皇后が見たかもしれない海を、同じように見つめながら。
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