店を閉めたあと、店の中で本を読んだり、文章を書いたりしている時は、だいたいクラシックが流れている。
特別にクラシックに詳しいわけではない。
ただ、一日の終わりに流しておくには、いちばん邪魔にならない音なのだと思う。
その音に混じって、台下冷蔵庫の低い駆動音がずっと続いている。
店内の照明を少し落としても、店はまだ完全には眠らない。
昼間のにぎわいがすっと消えたあとも、この場所にはまだ何かが残っている。
人の声や、食器の音や、料理を作っていた気配のようなものが、静かに残っている気がする。
僕にとって、この閉店後の時間は、一日の終わりにあたる。
明日に向けて気持ちを切り替える時間というより、今日という日をちゃんと終わらせるための時間に近い。
昼のあいだは料理を作って、店に立って、お客さんを迎える。
その役目がひと通り終わって、ようやく一人に戻る。
その切り替わりが、ちょうどこの時間なのだと思う。
店が眠る前の、少しだけ残った時間
この建物は、もともと父の代まで医院だった。
人が出入りして、会話があって、日々の暮らしの気配が積み重なってきた場所である。
大きく形を変えずにここでカフェを始めたのも、たぶん、この場所に流れてきた時間をできるだけそのまま残したかったからなのだと思う。
奥の在庫室へ続くドアもそのまま残してある。
黒石の表札も、今見ると少しおもしろくて、そのままにしている。


新しく作り直した店というより、昔からある場所に、今の自分の仕事をそっと重ねているような感覚がある。
なぜここで店をやることになったのか。
そもそも、なぜ料理の仕事を選んだのか。
なぜイタリアまで行ったのか。
そのあたりは、きちんと書こうとすると少し長い話になる。
だからまた別の機会に、少しずつ書けたらと思っている。
大阪で料理の仕事を始めて、イタリアに行って、また戻ってきて、気がつけばこの町で店を続けている。
思い通りにいったことばかりではない。
でも、続けてきた時間だけは、確かにここに残っている。
店の壁や床や、冷蔵庫の音や、閉店後の静けさの中に、そういうものが少しずつ染み込んでいるように思う。
一日の終わりに、自分に戻る
閉店後は、映画を観たり、本を読んだり、文章を書いたりする。
ときどき、ゲームをすることもある。
どれも大げさな趣味ではない。
でも、一日を終えるにはちょうどいい距離感のものばかりだ。

店に立っている時間は、やはり「店長」としての時間になる。
料理を出す。
お客さんを迎える。
会計をする。
片付けをする。
明日の仕込みのことを考える。
そういう一つひとつを終えたあと、閉店後の店内でようやく、少しだけ自分に戻る。
だからこの時間に書く文章は、営業案内とは少し違う。
お店の公式なお知らせでもない。
かといって、完全に店と関係のない個人的な日記でもない。
店をやっている人間が、店を閉めたあとに何を考えているのか。
今日という一日をどう受け止めているのか。
そういうものを、少しずつ残していく場所があってもいいのではないかと思っている。
454diaryは、そんな日記にしていきたい。
お店の情報を知るための場所ではなく、店を続けている人間の気配が少し残る場所。
営業中にはあまり言葉にしないことを、閉店後の静かな時間にゆっくり書いていく場所。
毎日がきれいに整っているわけではない。
店もそうだし、自分自身もそうだ。
少し迷いながらでも、そのときの自分に近い言葉で残していくほうが、あとで振り返ったときに、ちゃんとその日の空気が残る気がする。
コーヒーを飲みながら読んで、途中で閉じて、また別の日に思い出したように続きを読んでもらう。
この日記とも、それくらいの距離感で付き合ってもらえたらうれしい。

店を閉めたあとの時間に、クラシックと冷蔵庫の音が流れている。
今日も一日が終わっていく。
店も、日記も、いつも同じ場所にある。
そんなふうに、少しずつ積み重ねていけたらと思う。

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