選ばなかった人生を想う夜――江戸川乱歩『モノグラム』を読んで

「結婚しないの?」と聞かれることがある。
私はいつも笑って答える。「今の生活に満足しているから」と。

この言葉への反応はさまざまだ。
「それもいいね」と言う人もいれば、「一度くらいはしてみれば」と軽く言う人もいる。
けれど私は、今の暮らしをけっこう気に入っている。

特に接客の仕事をしていると、毎日いろんな人と出会い、言葉を交わし、ほどよい距離感の中で人と関われる。
家に帰れば静かな時間が待っていて、誰にも気を遣わずに本を読んだり映画を観たりできる。
それが、今の自分にとっての「ちょうどいい幸せ」だ。

そんな中で読んだのが、江戸川乱歩の短編『モノグラム』だった。
主人公・栗原一造は中年の男性。仕事を失い、妻との関係もうまくいかず、浅草公園のベンチでぼんやりと日々を過ごしている。
ある日、若い男性と知り合ったことをきっかけに、若い頃に憧れていた女性・北川すみ子のことを思い出す。
「もし、あの人と結婚していたら……」
そんな想像にふけり、今の不満から逃げるように過去の夢へと浸っていく。

だが物語の終盤、栗原が信じていた幻想は崩れる。
すみ子が亡くなり、その遺品の中にあった手鏡の中には、栗原の若い頃の写真が挟まっていた。

それを見て彼は、「彼女も自分を想っていたのだ」と胸を熱くする。


ところがその鏡は、実は現在の妻・お園のものであり、すみ子が盗んだものだったのだ。
すみ子は栗原を慕っていたわけではなく、ただ鏡そのものが欲しかっただけ。

そして、お園はヒステリックな面こそあったが、ずっと栗原を愛していた——。
幻想は崩れ、残ったのは、現実と向き合うしかない自分だった。


この結末を読んで、私は深く考えさせられた。


「選ばなかった人生」というものは、本当に存在するのだろうか。
栗原にとっての“もしも”は、結局のところ現実への不満が生み出した幻想にすぎなかった。
過去の記憶は美化され、手の届かなかったものほど輝いて見える。
けれど、それは現実に触れることのない夢だからこそ、いつまでも美しいのだ。

人は誰でも、ときどき「別の道を選んでいたら」と思う。
けれど本当は、どの道を選んでも悩みはつきまとう。
大切なのは、「どの道を選んだか」よりも、「今の自分とどう向き合うか」なのだと思う。


私は独り身の生活を楽しんでいる。
接客の仕事を通して人との関わりが日常にあり、孤独を感じることはほとんどない。
そして、家に帰れば静かな時間があり、自分だけのリズムで過ごせる。


それが、私にとっての自由だ。


結婚していても、していなくても、幸せは「誰かと一緒にいること」ではなく、「自分自身といい関係を保つこと」から生まれるのだろう。

栗原が求めていたのは、失った青春でも、すみ子という女性でもなく、
もしかすると「かつての自分」だったのかもしれない。
誰かのせいにせず、自分の人生を受け入れること。
それができたとき、人はようやく幻想から抜け出せるのだと思う。


コーヒーを淹れながら、静かな夜にふと考える。
もしあの時、別の道を選んでいたとしても、結局は今と同じように考えていたのかもしれない。
「選ばなかった人生」を懐かしむより、「いま選んでいるこの人生」を大切にしていこう。☕️


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