朝のルーティンに組み込まれた、名前のない絆
毎朝、開店準備をしている午前9時半頃、決まって一人の常連客がやってくる。
70代の男性。元小学校の教師だったという彼は、開店前にもかかわらず店の前で待っていて、私が鍵を開けるとすっと入ってくる。注文するわけでもなく、カウンター越しに10分、15分と雑談をして、そして何事もなかったかのように帰っていく。
「奥さんが嫌味を言って、腹が立った」と、彼は笑いながら言う。鞆には昔、彼の実家があったが今はもうない。それでも彼は毎日のように鞆に来て町を歩くことが、彼にとって何かしらの意味を持っているのだろう。
朝、小学校の旗振りの場所で彼を見かけることもある。登校する子どもたちに手を振りながら、私を見つけると同じように雑談が始まる。カフェでもない、路上でも、彼との会話は自然に続いていく。

正直に言えば、彼は町で評判がいいとは言えない。何人かの知人から「あの人、ちょっと変わってるから気をつけて」と忠告されたこともある。だが、私には彼のどこが嫌われているのかがわからない。70を過ぎてカップ麺やポテチを平気で食べ、「今度こそダイエットする」と宣言しては一度も実行しない、そんな彼の飾らない人間臭さが、私はむしろ好きだった。
ただ、時々心配になることがある。
彼が2週間ほど姿を見せないことがあるのだ。年齢を考えると「何かあったのでは」と不安になる。だが、そんな心配をよそに、彼は何事もなかったかのように、ある朝ふらりと現れる。
「久しぶりですね」と言うと、「ちょっと忙しくてね」と笑って返す。その顔を見ると、私はほっとする。
この関係は、なんなのだろうか?
23年間、家族のふりをした宇宙人の物語

そんなことを考えていた時に観たのが、映画『宇宙人のあいつ』だった。
物語の主人公は、真田日出男。高知県で焼肉屋を営む真田家の次男として、23年間ごく普通に暮らしてきた青年だ。だが彼には、家族にも言えない秘密があった。彼は、土星から人間の生態調査のためにやってきた宇宙人だったのだ。
ある日、長男の夢二が「真田サミット」を開催し、兄妹に衝撃の事実を告げる。日出男が宇宙人であること、そして地球を離れる日が3日後に迫っていることを。証拠として見せられたのは、家族写真の数々。どの写真にも、日出男の姿だけが写っていない。土星人は写真に写らないのだ。
長女の想乃(伊藤沙莉)と三男の詩文(柄本時生)は、最初こそ驚くものの、意外なほどあっさりとその事実を受け入れる。そして、残された3日間で、彼らはそれぞれが抱える問題に向き合うことになる。
想乃はDVを振るう恋人との腐れ縁を断ち切れずにいた。詩文は高校時代の同級生から執拗な嫌がらせを受けていた。夢二は婚活に失敗し続け、家業の焼肉屋も経営難に陥っていた。
日出男(中村倫也)は、これまで傍観者として過ごしてきた23年間を振り返り、初めて家族のために何かをしようと決意する。彼は自分の特殊能力——Wi-Fiになったり、記憶を操作したり——を使って、兄妹たちの問題を解決しようと奮闘する。

その過程で、日出男は夢二に問いかける。
「兄ちゃん、家族って何?」
夢二(日村勇紀)は、こう答える。
「自分よりも、大切なものがあるってこと。」
この言葉が、日出男の心を変えていく。
明かされる最後のミッション、そして選択
だが、日出男にはもう一つ、兄妹に言えない秘密があった。
それは、調査の最終報告として「家族の中から一人を土星に連れて帰る」という非情なミッションだった。しかも、土星は理想郷などではなく、罪を犯した者が送られる刑務所のような場所だという。このミッションを遂行できなければ、今度は彼自身が罰せられる。
23年間、ただの調査対象だったはずの真田家は、いつしか日出男にとって本当の家族になっていた。誰か一人を犠牲にすることなど、もはやできなかった。
最後の夜、家族会議が開かれる。互いをかばい合う兄妹たちの中で、親代わりの夢二が決断する。「俺が行く」と。
そして日出男は、宇宙船である座椅子に夢二を乗せ、夜空へと飛び立つ。だが、上空に達した瞬間、日出男は最後の選択をする。夢二を犠牲にすることを拒み、一人で地球を離れることを決めたのだ。
座椅子から切り離された夢二は、焼肉屋「SANADA」の屋根に落下する。店は炎上し、黒煙を上げる。そして残された3人は抱き合って号泣する・・・

時は流れ、真田家に新しい命が誕生する。想乃が出産した赤ん坊を、家族全員が愛おしそうに見つめている。その時、想乃の心にだけ、赤ん坊から直接語りかける声が聞こえる。
「じゃらららら〜」
それは、日出男が使っていた土星語の挨拶だった。日出男は想乃の子どもとして転生し、今度こそ真田家の本当の一員として戻ってきたのだ。
「血縁なき絆」が生む、選ばれた関係性
この映画を観て、私は開店前に訪れる常連客のことを思った。
日出男は23年間、「なりすまし」として真田家で暮らした。血のつながりはなく、当初は調査対象としてしか見ていなかった。だが、焼肉を焼き、洗濯を干し、兄妹の喧嘩を見守る日々の中で、彼は少しずつ「家族」の意味を学んでいった。
それは、制度としての家族ではない。共に過ごした時間と、経験の積み重ねが生み出す、「選ばれた関係性」だった。

私と常連客の関係も、同じなのかもしれない。
彼は客ではない。いや、たまにはコーヒーを飲むから一応客っぽいが、大体は注文もせずに雑談だけして帰る彼を、客と呼ぶことはできない。だが、家族とも呼べない。血縁もなければ、同居しているわけでもない。
それでも、彼が2週間姿を見せないと、私は心配になる。年齢を考えれば、いつ何があってもおかしくない。だが彼は、何事もなかったかのにまたやってくる。その姿を見た時、私は安堵する。
「自分よりも、大切なものがあるってこと。」
夢二の言葉が、私の心に響く。
常連客の無事を願う気持ち。彼との何気ない会話を楽しみに待つ朝。それは、私にとって「自分より大切なもの」の一つになっていたのだ。
転生する絆——何度でも選び直す関係
映画のラストシーンには、賛否両論がある。「不気味だ」という感想も少なくない。
だが、私はこの結末に深い意味を見出す。
日出男は一度、地球を離れた。任務を拒否し、家族を守るために。だが、それだけでは彼の物語は完結しなかった。彼は「本当の家族」になるために、もう一度、ゼロから関係を築き直す道を選んだのだ。
観察者でもなく、養子でもなく、血統に連なる生命として。
これは、家族になることが一度きりのイベントではなく、何度でも生まれ変わる関係性であることを示している。家族とは、一度成立したら終わりではない。毎日、何度でも、選び直し続ける関係なのだ。
常連客が2週間姿を見せず、そしてまた戻ってくる。その繰り返しの中で、私たちの関係は少しずつ深まっている。
彼が「奥さんの小言が嫌だから」と言いながら、それでも毎朝家を出て、この店の前に立つこと。私が彼の姿を見かけると、自然と会話が始まること。それは、互いに選び続けている証なのだ。
「多くの人からは嫌われている」と言われる彼を、私は嫌いになれない。話していると楽しい。それは、血縁や制度ではなく、私自身の選択だ。
そして、彼もまた、私との会話を選んでくれている。
と、思いたい・・・
むすびに——朝、また彼は来るだろう
映画『宇宙人のあいつ』は、宇宙人という究極の他者の視点を通して、「家族とは何か」を問いかける。
その答えは、血のつながりでも、制度でもない。共に過ごす時間と、互いを大切に想うという選択が育む、かけがえのない絆なのだ。
明日の朝も、きっと彼は開店前にやってくるだろう。
カップ麺を食べながら、「今度こそダイエットする」と宣言するかもしれない。小学校の旗振りの場所で会えば、また同じように雑談が始まるだろう。
そして、もし2週間彼が来ない日が続いても、私は信じている。何事もなく、彼はまた戻ってくると。
それは根拠のない楽観ではなく、私たちが積み重ねてきた関係への信頼だ。
宇宙人・日出男が転生して真田家に戻ってきたように、彼もまた、何度でもこの場所に戻ってくる。
なぜなら、ここには「自分より大切なもの」があるから。
そして、私にとっても。

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